くろーんもーのクロ歴史

2018年の3月に35歳を過ぎてクローン病と診断されたおっさんの備忘録的なブログです。病状や治療のことを書き綴ります。

私が病気のことを学ぶ理由

クローン病になってからは、本屋で医学書なども覗くようになり、病気に関連する言葉を検索することも増えた。
購入する論文雑誌や教科書類は比較的安価な物が多いが、それでも1冊5,000円前後する。
他の趣味に比べ出費が明らかに多いので、購入を検討する度、妻にお伺いを立てるのだが、「自分の病気のことなんだから気にするな」と言うだけで口を出してくることは一度も無く、詳しく確認されたこともない。

ちょくちょくこのブログを読んでいる妻に向けて、なんで知識を仕入れているのか?の理由(言い訳)を書いておく。



モチベーションは大きく分けて2つある。

一つはただの知識欲。
単純に私は勉強をすることが好きなのだ。
新しいことを学ぶのが好きだし、知識を頭の中で系統的に整理して体系化するのが楽しい。

病気になったことで興味あるテーマが拡張されたので、喜んで知識を貪っているのである。


もう一つの理由は、自分がどうなっていくのかを事前に知っておきたいということ。

「進行性の不治の病」というと、どうしても悪い考えが浮かんでしまう。
際限なく悪い事を考えていてもしょうが無いので、"どの程度"悪いのかを把握しておきたいという思いがあるのだ。

私は臆病なので、問題に対しては対策を事前に考えておきたいという性癖(?)がある。
もちろん、強迫性障害のように何にでも恐れて対策を考えているわけではないが、進行性の病気を無為無策のまま過ごすのは耐えられないのだ。

そうは言っても、今後のことを考えようにも状況が掴めないのではどうにもならない。そこで、診断後の早い時期に把握しようとしたのは、「どこまで悪くなっていくのか」だった。
「死ぬ確率は高く無い」といっても、どこが、どう悪くなって、自分が不自由になっていくのかは分かっていなかったので、それを調べた。
短腸症やストーマといったある程度の到達点が掴めたら、病気の進行速度(長期的な予後)や治療の選択肢についても調べた。

今後への対策も、生活を 金銭的・物理的に維持していくための準備だけでなく、不可避の変化に対しての心の準備も大事なことだと思っている。

今後のことが分かっていれば、時間をかけて覚悟ができる。不自由を減らすための事前のトレーニングや環境面での準備もできるかもしれない。
今後は老いていくので、心身ともにフレキシビリティが失われていく。準備に時間をかけられるならありがたい。

不自由になったらできなくなることをやっておくのもいいだろうと思う。急に出来なくなるよりも、「これでおしまいだろう」と思って区切りを付けておく方が私には合っている。
もちろん、自暴自棄になって症状が進行しそうなことをするわけではなく、治療とのバランスをとりながらだが。
病状の進行が遅くて準備が無駄になっても、それは良い誤算なので私としては気にならない。


治療に関しては、勉強不足で後から後悔したくないという思いもある。

クローン病は進行性の病気であり、身体の状態が安定していても緩やかに悪くなっていくものである。
腸管などに不可逆な変化が起こった後では後悔しても取り返しが付かない。
そのときになって「説明が無かった、誰も教えてくれなかった」などとは言いたくないのだ。
幸い、今は進行はそれほど急激ではないようなので、時間のあるうちに今の治療を理解し、治療の効果がなくなったときのために、次の打つ手ぐらいは調べておきたい。

完治する方法が無い病気だから治療する側も正解を持っているわけでは無い。
医師の言っていることがわかり、意味のある質問が出来るくらいには相手との知識のギャップを縮めていきたい。


勉強していて良かったなと思うことは、
生物学的製剤を使う前から予備知識があったので、症状が悪化した際に使用をためらうことはなかったし、
一次無効やアレルギー反応についても知っていたので、妻には一次無効の確率を伝えて、「必ず効果が出る」というような期待をしないように話し合った。

二次無効に対しても、やがて起きると想定して治療の選択はほぼ決めていた。
もし、引っ越しで転院にならなければ、以前の病院ではヒュミラへのスイッチを提案されていたハズだが、これには抵抗しただろうと思っている。

良いことばかりで無く、勉強不足だったと後悔していることもある。
年末年始で病院が休業だった時期にレミケードの投与(5回目)を1週間遅らせたことだ。
その当時は、「レミケードの血中濃度を下げすぎない方が良い」ことを知らなかったため、病院の事情もあり受け入れたが、
今なら、(年始に出来ないのであれば)8週よりも短い間隔で投与してもらえるように食い下がったはずだ。

5回目の投与時からかゆみが出るようになり、それ以降レミケードの効果が不安定になった。
この時期に抗インフリキシマブ抗体が出来たのでは無いかと疑っており、
もしそうなら、二次無効を先延ばしできるチャンスを不勉強で掴み損ねたと、自分の不明を恥じている。

抗体の有無を測ったわけでもないし、抗体の存在が即、二次無効へつながるわけでもないのだが、それでも「ああしていたら・・」という、どうしようも無い思いはもうご免である。

 

何かを選択するときには、最良の結果が得られなければ、選ばなかった選択肢への後悔は残る。
そもそも、しっかり準備をしたつもりでも上手くいかないことも多いと思う。
また、"その当時でも知ることができた有益なこと"を後から知って後悔するのはなんともやるせない。

それらの後悔をなるべく少なく、納得できるものするために病気のことを学び、考え続けていくのだろうと思っている。